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母の終活

75歳を迎えた3年前、

長年勤めたパートを辞めたことをきっかけに、

母は少しずつ終活に取り組むようになりました。

 

例えば、本棚の奥で眠っていたアルバムの整理。

段ボールに詰め込んだままだった古い衣類の処分。

葬儀屋さんとの葬儀費用の事前相談。

もう何年も連絡を取っていなかった友人との再会など…。

毎日の生活に追われ、

気になりながらも後回しにしてきたことに、

ようやく向き合えているようです。

 

その母の終活のひとつに、

生まれ故郷への旅という計画がありました。

 

母は太平洋戦争真っ只中の台湾で生まれ、

敗戦後に日本に戻った、いわゆる引き揚げ者です。

母の両親は共に日本人ですが、

日本統治下にあった台湾で出会い、結婚をして、

台湾の地で3人の娘を育てていました。

つまり日本に戻ったと言っても、

多くの引き揚げ者がそうだったように、

住む家があるわけでもなく、

ましてや幼い母たち姉妹は日本本土に降り立つのも、

その時が初めてだったのです。

 

そんな苦労があったせいでしょうか。

母の家族が台湾時代の話をすることはほとんどなかったようで、

そもそも引き揚げ当時4歳だった母は、

台湾のことを何ひとつ覚えていません。

だから台湾を恋しいと思ったことは一度もなかったそうです。

 

しかし数年前、

私がたまたま仕事で台湾を訪れる機会に恵まれ、

台湾と日本の歴史に触れたことから、

母がその地で生まれたことを意識するようになり、

いつかは故郷を見せてやりたいと思うようになりました。

 

その計画を話すと、

「台湾ね…死ぬまでに、いつかね…」という、気のない母の返事。

すっかりそのまま時間だけが過ぎてしまっていましたが、

とうとう今年のお正月明け、

台湾への帰郷の旅が実現したのです。

 

母と私、女同士のふたり旅ということで、

気ままに楽しめれば…なんて考えていましたが、

これが思わぬ大誤算!

なんだかおかしな話ですが、

帰郷と言っても、母にとってはこれが初の海外旅行になります。

出国審査と入国審査にすっかり疲れた様子で、

香辛料の香り漂う台湾料理にもうんざり顔を連発…。

 

…と、ちっとも楽しい雰囲気にならなかったのですが、

二日目に向かった人気観光地・九份へのツアーで、

その表情は一変しました。

台湾人ガイドのお兄さんに母の生い立ちを話したところ、

母が引き揚げ船に乗った港が見える丘へ、

急遽案内してくれることになったのです。

夕暮れ時の高台から見下ろしたのは、

海へ突き出す基隆(キールン)の港町。

「ねぇ、あそこが基隆だって!」とはしゃぐ私の隣で、

母は黙ってその港を眺め続けていました。

 

帰国する日の朝、

ホテルの朝食ビュッフェで母がお皿によそったのは、

苦手だったはずの台湾料理ばかり。

「その匂い、嫌だったんじゃないの?」と訊ねたら、

「もう大丈夫みたい。生まれ故郷の味だからね」と母は笑っていました。

 

そして帰国後、

「死ぬまでに一度だけ」と思っていた台湾に、

「また帰ろう」という気持ちを抱いているようです。

 

あるお坊さんからこんなお話をうかがったことがあります。

『終活は終わるための活動ではありません。

これからどう生きるかを考えるための活動です』

 

まさにそれを体現した母の終活の旅となりました。

基隆を見下ろす丘でガイドさんが撮ってくれた写真は、

実家のアルバムの新たな1ページに加わっています。

  • 更新日時:2020年06月25日|カテゴリー:ブログ
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