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連載:仏教と葬送を考える–葬式仏教の再発見②「仏教はいつから葬送に関わるようになったのか?」

仏教が爆発的に広まった時代

 今回は仏教と葬送の関わりについての歴史をたどってみます。
 日本において、庶民に仏教が広がった時代はいつでしょうか?
 実は、これがいつなのかは、あまり知られていません。
 私は、僧侶対象の研修会の講師を務めることが多いですが、参加者の僧侶にこの質問をして手を挙げてもらうと、多い回答は2つにわかれます。
 最も多いのは、鎌倉時代という回答です。この回答だけで、5〜6割の人が手を挙げます。
 次いで多いのは、江戸時代です。これは2〜3割くらいでしょうか。
 どちらの回答も、その理由は容易に想像できます。
 鎌倉時代というのは、日本仏教の歴史において、最も話題の多い時代です。特に、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮と言った、現代まで続く宗派の祖師方が活躍した時代です。仏教界においてたくさんのスターが活躍した時代と言ってもいいでしょう。高校の歴史の教科書などでも、この時代の仏教については、かなりのページがさかれています。そのため、鎌倉時代に仏教が民衆に広まったと考える僧侶が多いのは自然なことだと思います。
 一方、江戸時代というのは、幕府によって寺請制度が行われた時代です。つまり、国がすべての民衆に仏教徒であることを強制した時代です。この時代、日本における仏教徒の割合は100%だったと言っても過言では無いでしょう。つまり、江戸時代と答える僧侶が多いのもうなずけます。
 ところがこの2つの回答は、どちらも正しくはありません。実は、民衆に仏教が広まった時代は、室町時代の後半です。
 現在、日本にある寺がいつ創建されたかを調べると、9割弱のお寺が、室町時代の後半から江戸時代の初頭の約150年の間に建立されているのです。つまり、たった150年間の間に、寺が7〜8倍近くに増えているのです。
 これほどの勢いで仏教徒が増えた時代は、後にも先にも、この時代だけです。
 
名も無き僧侶らの活躍

 ところが仏教の歴史について解説する本などを見ると、この時代に、大きな事件はほとんどありません。親鸞や道元のようなスターもいない時代です。
 こんな時代になぜ仏教は爆発的に広がったのでしょうか?
 それは、この時代に、仏教が葬儀に携わるようになったことと大きな関わりがあります。
 意外なことですが、この時代の前までは、仏教が葬送に関わることはほとんどありませんでした。その理由は、死を穢れと考え、死に関わることを避けてきたからです。
 これはもともと神道的な考え方なのですが、当時は仏教もこの影響を受けており、僧侶も死を穢れと受けとめていたのです。
 ところが、室町時代になると、遁世僧(とんせいそう)と呼ばれる僧侶が増えてきます。
 それまでの僧侶は官僧とも呼ばれ、国の管理下にあり、国の許可無しに僧侶になることはできませんでした。ところが室町時代になると、そうした統制が弱くなり、勝手に僧侶になるものが多く出てきます。そうした僧侶のことを、遁世僧あるいは私度僧(しどそう)と呼びます。
 そして遁世僧の中には、死の穢れを怖れないものが数多くいました。そうした僧侶らが、人々の葬送に関わり始めたのです。
 折しも応仁の乱があり、その後100年以上にわたって戦国時代が続きます。戦乱の世の中で、飢饉も数多く起こりました。
 そうした死の不安と隣り合わせの時代、僧侶らは、死んでも浄土に行くことができると説くようになります。死んでも、あの世で安らかでいることができるということです。
 こうした考え方は、死の不安の中にいる人々にとって、まさに救いでした。あの世での平安を約束してくれる僧侶らに葬儀をあげてもらいたいと考えるのは自然なことです。
 そしてこの時代の僧侶には、鎌倉時代のようにスターはいません。名も無き僧侶らが活躍し、人々に救いを与えていきました。
 こうした僧侶らの活躍で、多くの人が仏教に帰依し、寺が次々と建立されていくのです。
 
村の誕生と寺の建立

 またこの時代には、村というものが成立していきます。
 当時は、惣村(そうそん)、郷村(ごうそん)と呼ばれ、人々が集まって住むようになり、同時に自治を持つようになります。つまり、人々が共同で地域のことを行うことができるようになってきたのです。
 背景には、荘園制度が崩壊したことで、それに変わる地域の管理体制が必要になったことがあります。特に水利権については、地域同士で争うことが多く、強い自治を持つこと無しに、有利に交渉を進めることが難しかったのです。
 人々が共同で地域のことを行うようになることで、地域が寺をつくることが可能になります。
 それ以前の寺は、ほとんどが貴族や武士、地域の有力者によって建立されたものです。当然、庶民には寺を建立する経済力がありません。
 ところが村が生まれると、個人とは比べものにならない経済力を持つことができます。
 こうしたことも、寺が増えた背景にありました。
 つまり仏教が葬式に取り組むようになったことで人々の帰依をうけるようになり、そして地域に村が生まれたことで拠点である寺を建立できるようになったことが、仏教が庶民に定着するきっかけだったのです。
 あえて言うと、仏教が葬式仏教になったからこそ、日本に仏教は広まったということなのです。
 
薄井秀夫
 
 
薄井 秀夫(うすい ひでお)

プロフィール
昭和41年、群馬県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業。
中外日報社等を経て、平成19年に株式会社寺院デザインを設立。
お寺のコンサルティング会社である寺院デザインでは、お寺の運営コンサルティング、運営相談を始め、永代供養墓の運営コンサルティング、お寺のエンディングサポート(生前契約、後見、身元引受等)、お寺のメディアのサポートなどを行っている。
葬式仏教や終活といった視点でお寺を再評価し、これからのお寺のあり方について提言していくため、現代社会と仏教に関心の高い僧侶らとともに「葬式仏教価値向上委員会」を組織して、寺院のあり方について議論を続けている。
また、お寺がおひとり様の弔いを支援する「弔い委任」を支援する日本弔い委任協会の代表も務めている。

  • 更新日時:2022年03月3日|カテゴリー:ブログ
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