第2回 「大往生」
遺族外来に伊藤さん(仮名、60歳、女性)が来院しました。
彼女は2ヶ月前、肺がんで86歳のお母様を亡くしてから辛い日々が続いていましたが、偶然に新聞で「遺族外来」を知り、自ら診察を希望し受診になっています。
伊藤さんは、憔悴しきっていました。彼女は母が肺がんになってから亡くなるまでの経過、および死別後の辛さを涙ながらに訴えていました。特に、お母様が徐々に衰弱して亡くなってゆく姿をみることがとても辛かったそうです。
彼女の話を一通り聞いてから、「他になにかお困りのことがありましたか?」と尋ねてみたところ、彼女は首を横に振り、「いいえ、違います。葬儀が終わったあと、弔問の人から『お母さん、大往生でしたね』と言われました。それが一番辛かったです」ちょっと意外な言葉で苦しんでいたので、もう少し聞いてみることにしました。
「どうしてですか。教えてください」
「先生、私は母の死が辛かったのです。亡くなる前の1ヶ月、私は母を看病しましたが、徐々に衰弱してゆく母をみていると、とても大往生と思えませんでした。それなのに弔問客の人は口々に『大往生』というのです。私の母が年だからでしょうか。私はその人たちに『私の母は死んだんですよ。大往生なんかではありません』と言いたかったくらいです。おかげで葬儀は本当に辛いものになってしまいました。」
「大往生」という言葉を地所で調べてみますと、「安らかに死ぬこと、少しの苦しみもない往生。また立派な往生」(広辞苑、岩波書店)とあります。
お母様は86歳。ほぼ女性の平均寿命といってよい年齢です。また、家庭ではご主人を支え、伊藤さんをはじめ、子どもさんを立派に育て上げてからこの世を去ってゆきました。ですから、周囲の人からみると「大往生」にみえても何ら不思議なことはありません。
しかし周囲の人が大往生と感じたからといって、ご遺族が同じように感じているとは限りません。伊藤さんはお母様の死を非常につらい ものとして捕らえられていました。そんななか、「大往生(安らかな死)」と言われたので辛くなってしまったのです。ですから、遺族がどう感じているか常に考慮すべきだと思います。
「大往生」と言う言葉から様々なことを学びました。
埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科 大西秀樹
- 更新日時:2018年02月14日|カテゴリー:遺族ケアの現場から