私の記憶に残るお葬式
江戸中期から葬儀屋として続いている我が家は、私で9代目。そして2年程前、私の長男に10代目の跡目を渡しました。今回、記憶に残るお葬式・・・という事で、私が初めて納棺に立ち会った日のエピソードを書き記したいと思います。今から52年前。まだ、小学6年生の私の身長は160cm。クラスの背の順では1番後ろでした。初夏のある日曜日、父から急にドライブへ行こうと誘われました。両親は仕事で忙しかったので、家族で何処かへ出掛けられるのは、1年に1度あれば良いほうでした。父とのドライブという甘い言葉に釣られて、私は何も考えずに車へ飛び乗りました。しかし、乗った車がトラックだったので、子ども心ながらにドライブにしては何かが違うのかな、という気持ちでいながら父とのドライブを楽しみました。すると、数分走ったところでドライブは中断されました。今でも忘れもしません。トラックが停車した場所は、ご近所のA氏の家の前でした。父に言われるがまま、トラックから降り、父の言う通りに荷物を運び、そしてお柩(ひつぎ)の用意を。ここで、全ての違和感の謎が解けました。父の仕事を手伝っている最中、私は父の指示道り動くことに夢中であったため、あれよあれよという間に時間だけが経過していました。親戚の葬儀にすら関わった事がなかった当時小学生だった私には、この空間の中で時が刻まれている事実だけを感じることしか出来ず、作業はどんどん進められていきました。当時は、何をしているのかさえも解らなかった慣習(所作)。例えば、逆さ水(水にお湯を足して適度なぬるま湯を作る)で仏様(故人)の身体を遺族と供に拭き、そして帷子(死装束)を着せながら、手甲・脚絆(旅支度)を付ける。父が遺族と死化粧を終えるやいなや、着衣の一重(ひとえ)に関わる話し始めました。そして、六文銭等々の由来を切々と伝えました。御遺体をひつぎに移し、ドライアイスほか故人のゆかりの品々を納めて、納棺なる儀式の手伝いを終えました。当時の私にとってこの体験は、長時間に及ぶものに感じられましたが、今思い返して考えてみると、1時間程度の出来事であったと思われます。
私の代だけでも1万体以上の仏様と接し、何かしらの形でご葬儀に関わってまいりました。ここ最近、夙に感じる事があります。というのも、故人の名前を言われても思い出せない事が、その家を見る事で当時の家庭事情であったり、親戚関係等であったりを思い出す事が出来るのです。そして、玄関から居間から、全ての間取りを思い描くことも出来ます。しかしここ20年程の間、自宅で行う葬儀が少なくなってしまってから、故人も含め、その家の様子が思い出せなくなりました。そのことに、何やら寂しさすら感じます。葬儀形態が抜本的に変わってしまった現在、仏に対するご遺族の気持ちにもだいぶ変化が現れ、なにやら私達も含めて今一度、死に関わる対応、さらには葬送儀礼を考え直すべき時期なのかもしれません。本来、どの仏様も同様に等しく、どの葬儀も皆記憶の中に残るものなのです。
- 更新日時:2018年10月4日|カテゴリー:ブログ