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連載:仏教と葬送を考える–葬式仏教の再発見①「死者の安らぎを祈る日本人」

日本では約9割が仏式で葬儀

 

日本では、お葬式の大部分は仏教で行われています。日本消費者協会の調査でも、87.2%が仏式で行われていることがわかっています(「第11回 葬儀についてのアンケート調査」2017年)。

その一方で、仏教で葬儀を行っている人の多くには、仏教徒の自覚はありません。NHK放送文化研究所が行った調査によると、仏教を信仰していると答えた人は、31%に過ぎないのです(「宗教に関する意識調査」2018年)。

2つの調査は別々の条件で行われたものなので、単純に比較するのは無理がありますが、あえて比較すると、仏教で葬儀を行った87.2%の人のうち31.0%の人が自分は仏教徒であると考え、残りの46.2%の人は自身のことを仏教徒でないと考えているということになります。

こうしたアンバランスな結果になるのは、日本人が仏教のことをどう考えているか、ということと深い関わりがあります。

日本人の多くは、仏教のことを、釈迦が説いた教えを学び、実践する宗教、あるいは、親鸞や道元など祖師方が説いた教えを学び、実践する宗教だと考えています。教えの習得と、教えの実践があって、はじめて仏教徒だということです。

ところが現実には、ほとんどの日本人は、仏教の教えについて、何も知りません。それどころか興味を持つこともあまりありません。人々が仏教と接するのは、供養に関わることばかりです。葬儀や法事、お墓参りの時くらいしか、仏教と接することは無いのです。そうした状況は、時に「葬式仏教」として批判の対象になることすらあります。

現代日本人の宗教観では、釈迦や宗祖の教えを学び、実践するのが仏教なのです。日常的な供養くらいでは、とても「自分は仏教徒だ」とは言えません。

そのため仏教で葬儀をしているのに、仏教徒の自覚の無い人が大部分、ということになるのです。

 

現代人は宗教をキリスト教的な視点で見ている

 

ところが、こうした仏教のとらえ方は、明治以降に定着したものです。

それまで仏教というのは、人が死んだら供養してもらうものでしたし、日常で悩みや困ったことがあったら祈祷してもらって御利益をいただくものでした。

もちろん現実の仏教は、今もこのまま変わっていません。しかし現代では、この現実が「本来の姿で無い」と受けとめられているのに対して、当時の人はこの現実を自然なこととして、そのまま受けとめていたのです。当時の人にとって、供養こそが仏教でしたし、祈祷こそが仏教でした。それ以上でも以下でもなかったのです。

ところが明治時代になると、欧米からキリスト教が入ってきます。当時、欧米の文化は、とても先進的なものに見えました。キリスト教も同様です。進んだ国の宗教として、とても洗練されたものに見えました。そして聖書を学び、毎週のように教会に通うキリスト教徒に比べ、自分たちの宗教はとても劣ったもののように見えたのです。

欧米の文化が入ってくるにつれ、次第に宗教というものを、キリスト教的な視点で見るようになってきます。仏教は、前時代的な供養と祈祷から、教え中心の宗教に変わるべきだと考えるようになってくるのです。

明治時代の仏教界をリードする僧侶らも、多くは欧米に留学経験を持ち、キリスト教の視点に基づいて、仏教を改革していこうとします。

しかし、こうした改革が成功することはありませんでした。結局、その後もほとんどの仏教徒は、死んだら供養、困ったら祈祷、という状況だったのです。

 

あの世で安らかに暮らして欲しいという祈り

 

ただ、宗教は教えが中心である、という考えだけは、広く定着することになります。信仰のあり方は昔のままでしたが、知識の上での宗教はとても洗練されたものになりました。さらに戦後になると、歴史や倫理の教科書においても仏教を取り上げ、釈迦や宗祖の説いた教えにもとづいた宗教という位置づけで教えるようになります。

当然、教科書には、供養のことも、祈祷のことも書いていません。こうした観点から現実の仏教を見ると、あたかもそれは仏教ではないように見えてきます。

しかしそれは現代人の勘違いに過ぎません。日本に仏教が伝来して以来、仏教を支えてきたのは、教えを習得した知的な人達では無く、あの世での安寧とこの世の幸せを祈る、素朴な人達でした。もちろんどんな時代にも知的な信仰者はいましたが、それはほんの一部にすぎなかったのです。それは空海や最澄が活躍した平安時代、法然、親鸞、道元、日蓮が活躍した鎌倉時代でも同様です。それが日本人にとっての仏教でした。

そして、ここで強調したいのは、死者への祈り、生きるための祈りを中心とした信仰は、教え中心の仏教と比べても、決して程度の低いものではありません。

祈りというものは、宗教の原点であるし、とても尊いものです。高度な教えを理解しても、祈りが無ければ、それは何の意味がありません。

とりわけ、亡くなった人が、あの世で安らかに暮らして欲しいという祈りは、何ものにも代えがたい程、尊いのです。

 

死者への祈りという尊い信仰

 

「葬式仏教」という言葉には、仏教は本来なすべきことをせずに、つまり教えを説くことをせずに、葬式ばかりやっているんじゃないかという、仏教を揶揄するニュアンスが含まれています。

そうした一面も無いわけではありませんが、私は、葬式仏教というものを、教えを理解しなくても、あるいは教えを学ぶ余裕が無くても、安らかに宗教的生活を送ることのできるよう進化した仏教であると考えています。

これを程度の低い宗教と見るのは、一神教的な見方です。日本には日本の宗教の伝統があるのです。一神教が考える宗教と、日本人が考える宗教は違うのです。

繰り返しますが、死者への祈りというものは、とても尊いものです。日本人にとって、とても大切な信仰であります。私たちは、こうした信仰を持っていることを、もっと誇るべきだと思います。

今後、この連載で、そうしたことをお伝えできればと思います。

 

薄井秀夫


薄井 秀夫(うすい ひでお)

【プロフィール】
昭和41年、群馬県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業。
中外日報社等を経て、平成19年に株式会社寺院デザインを設立。
お寺のコンサルティング会社である寺院デザインでは、お寺の運営コンサルティング、運営相談を始め、永代供養墓の運営コンサルティング、お寺のエンディングサポート(生前契約、後見、身元引受等)、お寺のメディアのサポートなどを行っている。
葬式仏教や終活といった視点でお寺を再評価し、これからのお寺のあり方について提言していくため、現代社会と仏教に関心の高い僧侶らとともに「葬式仏教価値向上委員会」を組織して、寺院のあり方について議論を続けている。
また、お寺がおひとり様の弔いを支援する「弔い委任」を支援する日本弔い委任協会の代表も務めている。

  • 更新日時:2022年02月3日|カテゴリー:ブログ
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