連載:仏教と葬送を考える──死んだらホトケになるということ
コロンボも死者をホトケさんと呼ぶ
「刑事コロンボ」というテレビドラマをご存じでしょうか。
1970年代にNHKで放送していたアメリカのテレビドラマですが、最近もBSで何度も再放送されているので、知っている人も多いのではないかと思います。ピーター・フォークが演じる、どこかとぼけた雰囲気のコロンボ刑事が、毎回会話の中で「うちのかみさんが・・・」というセリフを言うのが印象的でした。
最近、BSで再放送をしていたので、視聴していたところ、コロンボ刑事が亡くなった被害者のことを吹き替えで「ホトケさん」と呼んでいるのに気づきました。次の週も「ホトケさん」、その次の週にも「ホトケさん」というセリフが出てきます。
英語のドラマですので、もともとは死者を意味する英語を翻訳しているのだと思いますが、あえて「ホトケさん」という訳語を当てたのが翻訳者のこだわりなのでしょう。アメリカ人のセリフですが、ドラマを見ていて不思議なくらい違和感がありませんでした。
「ホトケさん」というセリフは、時代劇を見ていても、よく出てきます。「八丁堀の檀那、大川にホトケさんがあがりましたぜ」といった具合です。
現代の私たちも、「お盆にホトケさんがかえってくる」「ホトケさんにお線香をあげさせてください」など、日常的にも使う言葉です。
悟りを得た人
「ホトケ」という言葉ですが、ご存じの通り、阿弥陀如来や薬師如来、釈迦如来などの「仏様」を指すのが一般的です。そしてもともとは、ブッダ、つなわち「悟り」を得た人のことを言います。
ちなみに『広辞苑』によると、「仏」の項目には、
①目ざめたもの。悟りを得た者。仏陀。
②仏像、また、仏の名号。
とあり、四番目に
④死者またはその霊。
とあります。
ホトケの意味に、この「死者またはその霊」があるというのは、おそらく日本独自のことだと思います。
なぜ死者のことをホトケと呼ぶようになったのかについて定説は無いようですが、少なくともこの言葉を使う人は、死者がホトケのように安らかであることを、何となくイメージしています。
ホトケという言葉は、第一義的には、「目ざめたもの。悟りを得た者。仏陀」です。悟りを得た人は、完全な心の安らぎを得ています。
もちろんそれは、お釈迦さまのような方にしか、たどり着くことのできない境地です。しかし日本人が死者を「ホトケ」と呼ぶとき、死者が悟りを得たがごとくに安らかであることを信じているのではないでしょうか。
そこには人が死んでも、安らかであって欲しいという日本人のささやかな祈りが込められているのだと思います。
死んでも安らかであって欲しいという祈り
人が死ぬことはとても悲しいことです。
死にゆく人は、死を目前にして、傷みや苦しみの中にあったり、もっと生きていたいと悩んでいたり、家族との別れを悲しんでいたりします。残された人も、死にゆく人の心を感じながら、悲しみに暮れてしまいます。
だからこそ、死んだ後は、安らかであって欲しいと思うのだと思います。あの世で、安らかに暮らしてもらえることが、残された人の願いなのです。
それは自分自身の死に関しても同様です。自分が死んでも、あの世で安らかでいたいと思うのは、自然なことだと思います。
死者をホトケと呼ぶことは、そうした願いの現れなのだと思います。日本人は、死者をホトケと呼ぶことで、死後の安らぎへの確信を深めているのだと思うのです。
もちろん本来の仏教には、死んだらホトケのように悟りを得られるという教えはありません。
それでも日本人のほとんどは、人は死んだらホトケになって、安らかになれると、信じています。そしてこの死生観が、死と向きあう人々に安らぎをもたらし、日々の生活を生きる私たちにも安らぎをもたらしているのではないかと思うのです。
薄井 秀夫
薄井 秀夫(うすい ひでお)
プロフィール
昭和41年、群馬県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業。
中外日報社等を経て、平成19年に株式会社寺院デザインを設立。
お寺のコンサルティング会社である寺院デザインでは、お寺の運営コンサルティング、運営相談を始め、永代供養墓の運営コンサルティング、お寺のエンディングサポート(生前契約、後見、身元引受等)、お寺のメディアのサポートなどを行っている。
葬式仏教や終活といった視点でお寺を再評価し、これからのお寺のあり方について提言していくため、現代社会と仏教に関心の高い僧侶らとともに「葬式仏教価値向上委員会」を組織して、寺院のあり方について議論を続けている。
また、お寺がおひとり様の弔いを支援する「弔い委任」を支援する日本弔い委任協会の代表も務めている。
- 更新日時:2023年03月31日|カテゴリー:ブログ