第3回 「未亡人」
前回、「大往生」という言葉を通して、日常生活の際に私たちが何気なく使っている言葉が時に相手を不快にさせることを学びました。遺族ケアに携わるに人々にとって言葉はとても大切です。ですから、今回も相手を不快にさせる言葉について考えてみたいと思います。
相手を不快にさせる言葉の例として、私の専門である精神科領域ですと「痴呆」がその代表的なものでした。この言葉は「もう何もできない人」との悪い印象を与えかねないため2004年に「認知症」と改められました。また、「精神分裂病」も病気の実情を反映していない差別的な言葉であることから「統合失調症」と改称されました。長年にわたり漫然と使用された不適切な病名が改称されたことは社会の発展にもつながります。
では、遺族ケアの領域ではどうでしょうか。
先日、ご主人を亡くされた食生活ジャーナリストの岸朝子さんは、「未亡人は嫌な言葉である。なぜなら、この言葉は『まだ死なずにいる人』を意味するからだ」という内容のことを語っています(読売新聞 平成23年10月8日「時代の証言者」より)。もっともだと思います。よく調べてみると、アメリカのグリーフケアに関する本にも、「日本では遺族のことを『mibujin=she who is not yet dead』(未亡人=未だ死んでない人)と呼んでいる」という内容の解説がありました(ニーメヤー「大切なものを失ったあなたに」春秋社)。これらの意見を考えてみると「未亡人」という言葉を遺族に対して使うのは適切でないように思われます。
「痴呆」、「精神分裂病」という言葉は患者さんの実情にそぐわず、個人の尊厳を傷つける“病名”であることを患者さんと家族、そして社会が認識したため、他の病名に代わりました。未亡人という言葉も、遺族の実情にそぐわない言葉だと思うのですが、私たちの社会は、一部の人を除いて「未亡人」という言葉が有している意味に気が付いていないのです。知り合いに、未亡人という言葉が持っている意味について話すと「そうだね」と初めて気が付く人も少なくありません(私もその一人でしたが)。これは私たちの社会は愛する人を失った遺族に対する配慮を欠いていることにほかなりません。ただ、希望は失っていません。一人ひとりが遺族に対する配慮を今まで以上に行えば、この言葉が有する意味に気がついて、口に出さなくなるでしょう。
高齢化社会の到来に伴い、死別経験者は今後ますます増えてゆきます。彼らが少しでも生活しやすい社会を作ることが大切です。そのためにも、言葉の使い方をはじめとして、細かい配慮を忘れずにいたいものです。
埼玉医科大学国際医療センター精神腫瘍科 大西秀樹
- 更新日時:2018年02月14日|カテゴリー:遺族ケアの現場から