今日も懲りずに函館歩き。
先日一冊の写真集を手にしました。
A5サイズ(一般的なコピー用紙の半分)で60ページちょっと。
カバンの隙間に入れておいたら、
つい忘れてしまうほど軽い本です。
『今日も懲りずに函館歩き。〜HAKODATE PHOTO DIARY〜』
というタイトル。
私は一度だけ函館に行ったことがあって、
仕事だというのに合間合間に観光名所を巡り、
ちょっとは知った気になっていました。
だからこの本を手にした時には、
「はい、はい、函館ねー。行ったことあるよー」
なんて軽い気持ちで開いたんです。
でも、そこには、
私の知らない函館が切り取られていました。
なのに次の瞬間、
なぜかキューっと胸が苦しくなって、
懐かしさのようなものを感じたのです。
まるでその風景を、
同じ場所から自分が覗いたことがあるかのように。
そう、この写真集。
なんて言うんでしょう。
函館の街にある場所や人や物をそっと覗いて、
よく見せようとするわけでもなく、
いつも変わらないありのままの姿だけを、
本当にそのまま遺したように見えるんです。
写真をひと通り眺めたあとに、
ぽろぽろっと間に挟まれた著者の、
つまりカメラマンのエピソードを読んで、
合点がいきました。
お仕事は葬儀社経営。
函館の街に心惹かれて、
年に数回、
わざわざ地方から足を運んでいる方だったんです。
よそから来た方が、
「ちょっとお邪魔します」
「知れば知るほど素敵だと思うんです」
「だから遺させてくださいね」
と撮った写真。
いかにも葬儀社さんらしいな…と言ったら、
職業差別になってしまうでしょうか?
でも私も、
別の業種でありながら、
葬儀業界をちょっと覗かせてもらったら、
なぜか知れば知るほど素敵だと感じて、
だから遺したいと思っている人間なんです。
…こんな言い訳でお許しいただけないでしょうか。
よく考えたら大切に積み重ねたはずのものが、
日常に溶け込んで当たり前になることで、
いつしかその重みを忘れ、
気づけば失っているということは間々あります。
それを
「ちょっとお邪魔します」
「知れば知るほど素敵だと思うんです」
「だから遺させてくださいね」
と寄り添ってくれるのが、
葬儀社さんたちのお仕事なのだと、
この写真集を見て、読んで、
ようやく気がついたのかもしれません。
これまでは、
見送りの手伝いをしてくれる人たちだと思っていたんですよね。
ある意味、後片付けのお手伝いを。
でもそうではなくて、
失ったばかりで本来の大切さにまだ気づけていない時に、
その大切なものをちゃんと遺す手伝いをしてくれている人たちだったんですね。
そう考えたら、
この写真集の一枚一枚から感じた哀愁は、
まるでじっくり選ばれた遺影を見たときと同じ感覚だったのだと、
これまたひとりで妙に納得。
遺影って結局、
いつも見ていた慣れ親しんだ顔に、
また逢いたくなった時のための写真だと思うんです。
そういえば知らない方の遺影でも、
向き合ってみるとなぜか急に懐かしさがこみ上げたり、
その方の人生を知っているような気になりませんか?
そうそう、あの感覚だよね!と、
一緒に納得してくださる方がいらっしゃったら嬉しいです。
みなさんもぜひ一度覗いてみてください。
函館を愛してやまないカメラマンが、
遺さねばと思った函館の姿を。
『今日も懲りずに函館歩き。〜HAKODATE PHOTO DIARY〜』
著者:佐藤政之(PEEPS HAKODATEより)
- 更新日時:2020年03月2日|カテゴリー:ブログ