大切な人の死を受け容れるまでに【1】
以前にもお話ししたことがあるのですが、
私には年の離れたKさんという友人がいます。
あくまでも仕事だと、
どこか割り切りながら付き合っていた私に、
いつも本音で語りかけ、
君は大切な仲間だと言ってくれたKさん。
病に侵され、7年前に亡くなってしまいました。
彼の病状は共通の友人から聞いていましたが、
1年半に渡った闘病期間中、
私はただの一度もお見舞いに行きませんでした。
人に弱みを見せないKさんにどんな顔をして会えば良いのか。
何を持っていけば失礼にならないのか。
そもそも私が訪ねること自体、迷惑ではないのか…。
そんなことをグルグルとひとりで考えて、
結局は最期の言葉を交わすことなく終わってしまったのです。
その後悔の念は、
まるで波のように打ち寄せては去っていき、
遠くなったかと思えばまた打ち寄せて…
7年以上が過ぎた今でも消えずに疼き続けています。
しかし、私のこのどうにも受け容れ難い気持ちを癒してくれる、
ふたつの心の支えがあります。
そのひとつは、Kさんの葬儀に参列できたことです。
実はKさんはご家族と疎遠だったために、
火葬場で近親者だけで見送るという、
いわゆる「直葬」になると連絡を受けたのですが、
最期に会うことを希望する友人が多かったために、
急遽、火葬前にお別れの場が用意されたのです。
Kさんに花を手向けることができて、
私の後悔は少しだけ小さくなったように思います。
そしてもうひとつは、
今でも変わらずKさんのことを話せる友人がいることです。
同じ仲間と、何度同じ話を繰り返してきたでしょう。
毎回同じ内容でも飽きずに続く理由は、
きっと誰もがKさんのことを忘れたくないし、
忘れられないからだと思います。
エピソードが語られる度に、
それぞれにいろんな想いがあって、
笑ったり、涙ぐんだり…。
Kさんのことを気兼ねなく話せる時間を
とても心地よく感じています。
でも逆に言えば、
やはり今でも癒えない悲しみが、
皆の胸の内にあるということなのでしょう。
大切な人の死は、
人間が生きる上で感じる、
最も大きなストレスだと聞いたことがあります。
それを受け容れるまでには、
一体どれだけの時間を要するのか。
悲しみに向き合い続けることの意味を、
Kさんが問い続けてくれているように感じます。
- 更新日時:2020年12月11日|カテゴリー:ブログ