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連載:仏教と葬送を考える ──死者の行方と『千の風にになって』

『千の風』と仏教
 
 『千の風になって』という歌がヒットしたことを憶えている方も多いと思います。歌手の秋川雅史さんが、平成18年の紅白歌合戦で歌ったのときっかけに大ヒットした曲です。
 実はこの歌のヒットは当時の仏教界に、ある意味衝撃を与えました。そして、多くの僧侶がもやもやした気持ちになりました。
 その理由は、歌詞の中の次の言葉にあります。
 
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」
「千の風になって、あの大きな空をふきわたっています」
 
 この歌は全体を通して、亡くなった人が、遺された人に語りかけるというかたちをとっています。そしてその死者が言いたいのは「自分はお墓の中にはいない」「自分は風になっています」ということです。
 僧侶の多くは、こうした歌詞が人々の心を打ったことが、どうしても受け入れることができなかったのです。
 私は仕事の関係で、僧侶と話をすることが多いのですが、当時、雑談の中でこの話題が出てくることが多く、そのほぼ全てが、この歌、あるいはこの歌がヒットしたことに対する批判でした。
 その内容は、だいたい次の二つです。お墓を否定する内容でけしからんというものと、この歌が示す死後の世界が仏教の考え方と異なっていることから、人々の信仰心が貧困になっているのではないかというものです。
 前者の意見は、わからなくもありません。現代の仏教はお墓と深い関わりがあり、それを否定されることは、自身の存在意義をも揺るがしかねないと感じるのは自然なことでしょう。根底には、この歌が流行ることは、仏教の否定につながるのではないかという恐怖があるのだと思います。
 もちろん後者の、信仰心の貧困さを歎くことも理解はできます。確かにこの考え方は、仏教的ではありません。死んだら浄土に行くという考え方が、日本仏教では主流です。そして浄土に行けるのは、仏さまのおかげであります。死んで風となって吹き渡っているのなら、浄土の出番も、仏さまの出番もありません。
 ただ当時の仏教界は、明らかに過剰反応気味でした。僧侶が集まれば必ずこの話題が出るというと言っても過言ではありませんでした。さらには宗派のトップが、公式な場所で、この歌のヒットに苦言を呈するということまでありました。
 
死者は私たちの生活の近くのどこかにいる
 
 人は死んだらどこに行くのかということは、どの宗教においてもとても重要な問題です。前述のように、日本仏教では、浄土に行くというのが標準的です(宗派によって若干異なりますが)。
 現代の僧侶らは、『千の風』のヒットを知って、現代人の信仰心を歎きましたが、そもそも死んだら浄土に行くという死生観は、もともと一般庶民に浸透していたわけではありません。
 民俗学の泰斗・柳田国男は日本人の死生観を丹念に調査し、『先祖の話』という書籍にまとめましたが、その中に次のような一説があります。
 
「先祖がいつまでもこの国の中に、留まって去らないものと見るか、またはおいおいに経や念仏の効果が現れて、遠く十万億土の彼方に往ってしまうかによって、先祖祭の目途と法式は違わずにはいられない。」
「日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方には行ってしまわないという信仰が、恐らくはこの世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。」
 
 柳田はこの著作の序で、原稿は終戦直前の昭和二十年四月に書き始めたと述べています。つまり、今から八十年近く前の時点で、死者は生活場所の近くのどこかにいるという信仰が一般的だったということです。いやむしろ柳田によると、ずっと昔から、日本人はそういう信仰を持っていたというのです。
 それは、里山だったり、海だったりします。草場の陰でもあります。村はずれのどこかでもあります。仏壇やお墓にもいます。死者は生活の近くのどこか、いると思ったところにいると、日本人は考えてきたのです。
 
古代から合理主義の現代まで続く信仰
 
 万葉集にも、死んだ人の霊が、空に漂っているという歌が多く歌われています。例えば柿本人麻呂が亡くなった時にその妻はつぎのような歌を歌っています。
 
直(ただ)に逢はば逢ひもかねてむ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ
 
 どうしても夫に逢いたいのだけど、もう逢えないなら、雲を見て夫を偲ぼうという歌です。つまり人麻呂の霊は、雲となって漂っていると、妻は感じていたということです。万葉の時代から、日本人はこうした感覚を持っていたのです。
 こうして見ると、亡くなった人が、風となって吹き渡っているという感覚は、決して貧困な信仰ではありません。素朴ではあるけれど、身近で豊かな世界観を持つ信仰であると思うのです。そして日本では、ずっとこの死後の世界観が一般的だったということです。
 もともと仏教は、浄土を説きつつも、こうした信仰とも上手に折り合いをつけてきました。仏教の教理とは矛盾する考え方であっても、人々が死への恐怖や悲しみと向きあっていくたものものとして受け入れてきたのです。そして、それが日本人の死生観を育んでいたのです。理屈で考えれば矛盾だらけですが、その矛盾をも懐にいれてしまうのが、日本仏教のおおらかさだったはずです。
 ちなみに『千の風』を好きな人が、お墓を否定するかというと、そんなことはありません。『千の風』に感動して、大切な人が、この空を吹き渡っていると感じながらも、お墓に手をあわすというのが、日本人なのです。お墓の墓碑銘に「千の風」と彫る人もいるくらいです。
 現代の僧侶は、『千の風』に対して違和感を感じたようですが、日本の仏教徒の信仰は、もっとおおらかなものです。
 そして『千の風』のヒットは、その日本人の死生観が、この科学合理主義の現代においても、これだけ豊かであることを示したのだと思います。
 
薄井秀夫
 
薄井 秀夫(うすい ひでお)
プロフィール
昭和41年、群馬県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業。
中外日報社等を経て、平成19年に株式会社寺院デザインを設立。
お寺のコンサルティング会社である寺院デザインでは、お寺の運営コンサルティング、運営相談を始め、永代供養墓の運営コンサルティング、お寺のエンディングサポート(生前契約、後見、身元引受等)、お寺のメディアのサポートなどを行っている。
葬式仏教や終活といった視点でお寺を再評価し、これからのお寺のあり方について提言していくため、現代社会と仏教に関心の高い僧侶らとともに「葬式仏教価値向上委員会」を組織して、寺院のあり方について議論を続けている。
また、お寺がおひとり様の弔いを支援する「弔い委任」を支援する日本弔い委任協会の代表も務めている。

  • 更新日時:2022年06月6日|カテゴリー:ブログ
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