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連載:仏教と葬送を考える ── お墓は変化する

パーソナル化する供養

 葬儀のあり方が変化しているのと同様に、現代では、お墓というものも変化を続けています。これまで一般的だった石塔の「○○家の墓」がオーソドックスな時代は終わり、お墓は多様化の道を進んでいるのです。
 室内型納骨堂、永代供養墓、樹木葬、夫婦墓、散骨など、20年前はあまり聞くことも無かったものが、当たり前のように話題になるようになってきました。
 背景には、先祖代々を前提としていたお墓が、家族(近親、同居)を前提とするものに変化したことがあります。一代限り、あるいは二代までのお墓が増えているということです。供養のパーソナル化と言ってもいいと思います。
 日本では、先祖を大切にすると言うことが美徳とされ、死者供養も先祖代々に対してなされることが一般的でした。仏壇やお墓で手を合わせる対象は、両親や祖父母だけでなく、顔の見たことのない「先祖」も含まれていたのです。
 先祖たちが生きて、子どもを産み、育ててきて、それを繰り返してきたからこそ、私たちが今ここに生きている、そのことに感謝するのは自然なことだと思います。その感謝が、先祖供養の基礎をなしていたのは言うまでも無いでしょう。
 ところが、そうした先祖への思いは確実に低下しています。
 「先祖への気持ちが無くなっているのは、けしからん」と歎く人もいるようです。特に、先祖供養に関わる僧侶の間ではそうした嘆きは顕著です。

生活の中で先祖を意識する機会が減っている

 ただ、社会の変化を考えると、それはやむを得ない面もあります。そもそも、現代では、生活の中で先祖を意識する機会が少なくなっています。
 以前は当たり前だった三世代同居もほとんど無くなり、核家族が当たり前の時代です。そのため、家族という言葉の中に祖父母のことが入っていない人も少なくありません。祖父母がお墓や仏壇を大切にしている姿を見る機会も減り、その大切さを学ぶ機会も失われています。
 また戦後すぐくらいまでは、農業に従事している人が人口の大半を占めていました。都市部では商売をしている人も少なくありませんでした。
 農業も商業も、多くは家業です。そして家業は、子孫に受け継がれていいきます。
 つまり、家業を受け継いだ側からすると、日々仕事をして収入を得ているのは、文字通り「ご先祖さまのおかげ」なのです。
 ところが高度経済成長期以降は、会社員が人口の大半を占めるようになってきます。そうすると、自らの力で会社に入り、自らの力で日々働いているという意識に変化します。
 日々の仕事、日々の収入、日々の食事で、先祖を意識することはほとんど無いというのが現実です。
 供養のパーソナル化は、こうした環境の中で進んで行きます。
 ただ決して供養の気持ちが無くなっていくわけではありません。供養の対象が、先祖代々から近親者に変わってきているということなのです。一代限りのお墓が増えているのには、こうした背景があるのです。

以前は個人単位のお墓が主流だった

 お墓というと、三段に重ねられた石塔のお墓をイメージする人が多いと思います。皆さん、ずっと昔から、明治時代も江戸時代も、こうしたお墓が続いてきたと思っていると思います。
 ところが、こうした石塔の先祖代々のお墓は、さほど歴史がありません。
 明治時代から少しずつ増え始め一般庶民に普及したのは、戦後の高度経済成長期です。
 実は江戸時代には、一般庶民で、先祖代々のお墓を建てた人はほとんどありません。当時お墓はほとんどが個人墓で、その大きさもせいぜい30〜40センチメートルです。しかも、元禄期(1700年頃)以前は、石の墓すらほとんどありません。それまでは人が死んだら、木の墓標が建てられ、年月ともに朽ちていったと考えられています。
 先祖代々の家という考え方が日常生活で重要視されるようになったのは、明治維新であります。庶民も名字を名乗ることが許され、民法で家という制度が定められます。法律的には、戸主は財産とともに、祭祀も引き継ぐことが定められます。こうして代々の家の価値が、社会的に高まっていきます。先祖はありがたい存在なのだという意識が定着していったのです。
 こうした状況の中、○○家のお墓を建てる人が増えていきます。
 ただ、この頃は、まだ土葬が主流でした。
 土葬ですと、必ずしも遺体を埋めた場所の隣に、同じ家族が埋葬されるとは限りません。そのため、埋葬した場所から、ちょっと離れた場所に、小さな石塔を建てるというのがオーソドックスなお墓でした。
 それが変化したのは、戦後の高度経済成長期です。
 日本人の所得が増え続けたことと墓地開発ブームで、新しいお墓が大量に建てられることになります。経済的な余裕ができたことから、個々のお墓のサイズも、だんだん大きくなっていきます。
 そして、火葬の普及です。都市部だけでなく、地方でも次々に火葬場が建てられ、一気に土葬が無くなっていきます。
 我々が一般的なお墓と考えている、石塔でできた○○家のお墓は、この時期に大きく普及したのです。
 また、お寺の中に墓地があるということが広まったのも同じ時期です。
 都市部はお寺の境内に墓地があることが多かったのですが、地方は、集落の共同墓地という形態が主流でした。お寺の隣に墓地があっても、集落が管理する共同墓地というケースも少なくありません。
 戦後、急速に人口が増え、墓地の需要が高まります。戦後に制定された墓地に関する法律(墓地、埋葬等に関する法律)では、墓地を新たにつくることのできるのは、地方自治体、公益法人、そして宗教法人に限られることになりました。
 その中で、お寺が墓地を拡張したり、新たに造成したりということが増えていきます。おそらく戦後につくられた新規墓地の9割以上は宗教法人の経営ではないかと思います。
 こうして、集落の共同墓地が主流だった時代から、お寺の境内墓地が主流の時代にかわってきたのです。

社会が変わればお墓も変わる

 お墓は、時代時代にあわせて、変化をし続けてきました。今、私たちがオーソドックスなお墓だと思っている形式は、せいぜい60〜70年の歴史しか無いと言うことです。
 ただお墓は変化し続けてきましたが、人々の死者への思いは、今なお強く残っています。
 おそらくこれからも、社会の変化を受けながら、お墓も変化し続けると思います。家族のあり方の影響も受けますし、経済状況の影響も受けます。
 例えば、ここ数年、お墓をインターネット経由で参拝できるというような仕組みを取り入れるお寺や霊園が増えつつあるようです。
 もちろん個人的には、こうした仕組みが定着するとは思えません。ですが、これを受け入れるかどうかを判断するのは利用者です。数年後には驚くほど広がり、当たり前の風景になっている可能性がないわけじゃありません。
 むしろ供養が時代時代にあわせて変化することこそが、変わらぬ真実だと言えるでしょう。変化は環境への適応でもあります。変化を繰り返すことは、これからも死者への気持ちを大切にしていこうという日本人の思いの表れなのかもしれません。

薄井秀夫

薄井 秀夫(うすい ひでお)
プロフィール
昭和41年、群馬県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業。
中外日報社等を経て、平成19年に株式会社寺院デザインを設立。
お寺のコンサルティング会社である寺院デザインでは、お寺の運営コンサルティング、運営相談を始め、永代供養墓の運営コンサルティング、お寺のエンディングサポート(生前契約、後見、身元引受等)、お寺のメディアのサポートなどを行っている。
葬式仏教や終活といった視点でお寺を再評価し、これからのお寺のあり方について提言していくため、現代社会と仏教に関心の高い僧侶らとともに「葬式仏教価値向上委員会」を組織して、寺院のあり方について議論を続けている。
また、お寺がおひとり様の弔いを支援する「弔い委任」を支援する日本弔い委任協会の代表も務めている。

  • 更新日時:2022年09月28日|カテゴリー:ブログ
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