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連載:葬送と仏教を考える──死者と対話する日本人

 仏教というのは、釈迦の教えにもとづく宗教であるということは、だれも否定はしないと思います。しかし現実として、日本の仏教徒のほとんどは、釈迦の教えについて何もしりません。日本には約8300万人の仏教徒がいるとされています(『宗教年鑑』令和3年版/文化庁編)。そして日本の仏教徒は、現実的には、葬儀や法事、お墓参りや仏壇へのお参りくらいしか、仏教と触れることはありません。
 こうした現実を見て、日本の仏教徒はいい加減だ、あるいは、こうした人たちは仏教徒ですらないと言う人もいます。仏教は教えが基本とされ、死者供養や祈祷などは仏教として扱われることすら希でした。語るに値しないと考えられていた節すらあります。
 日本人の死生観が語られる時にも、仏教の教えや仏教思想にもとづいて語られることがほとんどです。「本来の仏教」は教えが基本であり、「本来の仏教では、こうした死生観をもっているのですよ」と。
 それに対して仏教徒とされる人のほとんどは、「本来の仏教」など知らないし、当然、「本来の仏教の死生観」とは異なる素朴な死生観しか持っていません。宗教者や知識人の中には、そうした現実に対して、「現代人は死生観が貧困だ」とまで語る人すらいるようです。
 私は、そうした考え方は間違いだと思う。素朴で感覚的な信仰の中にも、豊かな宗教世界は存在しています。
 なにより日本の仏教徒に最も親しまれている信仰は、死者供養です。教えに基づく信仰をしている人は、少数派に過ぎません。それゆえ仏教の教えをもとに日本人の死生観を語るのには無理があるのです。
 日本人の死生観は、むしろ、この供養という宗教行為をもとに育まれてきたのです。そして現代においても、人は供養に基づく死生観の中に生きています。

あの世で安らかでいて欲しいという思い

 供養という言葉は『広辞苑』によると、「三宝(仏・方・僧)または死者の霊に諸物を備え回向すること」とあります。一般的には、死者に対して手を合わせて、あの世での安らぎを祈ることを言います。
 死ぬということは、誰しも不安を感じるものですし、周囲の人間にとっては悲しいことです。
 大切な人が死んだ時に、あの世で苦しんでいないかと不安になるのは自然なことです。
 供養は、こうした不安に対する解決策を提示する。供養をすることで、死んだ人を安らかにすることができる、そう信じられています。それゆえ、人は手を合わせ、供養をするのです。
 それは素朴ではあるが、優しさに満ちた信仰です。お墓へのお参りも、仏壇へのお参りも、こうした気持ちがもととなって行われています。葬儀に集まる参列者もみな、死者の安らぎを祈っているのです。

亡くなった故人が私たちを見守ってくれるという信仰

 また供養は、生者が死者の安らぎを祈るという一方通行ではなく、死者からも生者の安らぎを祈るという信仰を含んでいます。
 亡くなった故人が私たちを見守ってくれるという信仰です。
 それが前提にあるゆえ、仏壇やお墓で手を合わせる時、「お父さん、お母さん、私たちを見守ってくださいね」と語りかける人は少なくありません。
 私たち生者が死者の安らぎを祈り、死者が私たちの安らぎを祈るという、祈りが双方向に絡み合うのです。
 そしてもうひとつ、人は大切な人があの世で苦しんでいないかと心配になるものですが、それは自分自身の死に直面しても同様です。自分自身もいつかは死を迎えるのです。当然のことですが、他人の死以上に自分の死は不安です。死んだら苦しい思いをするんじゃないかと。
 ところがこの供養という信仰は、自分が死んでも誰かが供養してくれることを想定しています。つまり、自分の供養で先に死んだ人の安らぎを実現できるのなら、自分自身も誰かに供養してもらえさえすれば、死後の安らぎを保証されるということです。
 つまりこの供養という信仰は、死に向きあわざるを得ない私たちの不安をも和らげてくれるのです。
 もちろんこれは、供養をしてくれる人がいることが前提です。少子化が進む現代では、この保証も危ういのも確かです。永代供養墓のような、子どもがいなくてもお寺が死後の供養をしてくれるお墓を選ぶ人が増えているのは、ここにも理由があるのです。

死者との対話がもたらすもの

 仏教は、供養を通して、死の不安に寄り添い続けてきました。確かに教え中心でない仏教は、釈迦の仏教とは異なります。しかし供養は人々にとって、社会にとって必要な存在だったのです。
 このことはもっと評価されていいことだと思います。
 供養という信仰は、第一に、死者の安らぎを祈る信仰です。第二に、死者が生きている私たちの安らぎを祈ってくれる信仰です。
 この信仰の根幹には、死者との対話があります。私たちは死者の安らぎを祈り、死者も私たちの安らぎを祈ってくれます。人は死んでも何かしら人格的存在が残り(これを多くの人は「霊」「魂」などと呼ぶ)、変わらぬ関係、変わらぬ愛情、変わらぬ友情が続き、対話をすることができるのです。
 私たちは大切な人が死んでも、その人たちと、つながっていたいのです。それゆえ、お墓の前で、仏壇の前で、死者と対話を続けているのです。
 こうした日本の仏教徒の死生観は、素朴だがとても豊かな死生観だと思います。
 私たちは、供養という行為を通して、死者とつながり、あの世ともつながっています。供養は、死者と生者がお互いにいたわり合う、優しい信仰です。
 死者の安らぎ、この世の私たちの幸せ、葬式仏教はこれらを私たちに約束してくれるのだと思います。

薄井 秀夫

薄井 秀夫(うすい ひでお)

プロフィール
昭和41年、群馬県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業。
中外日報社等を経て、平成19年に株式会社寺院デザインを設立。
お寺のコンサルティング会社である寺院デザインでは、お寺の運営コンサルティング、運営相談を始め、永代供養墓の運営コンサルティング、お寺のエンディングサポート(生前契約、後見、身元引受等)、お寺のメディアのサポートなどを行っている。
葬式仏教や終活といった視点でお寺を再評価し、これからのお寺のあり方について提言していくため、現代社会と仏教に関心の高い僧侶らとともに「葬式仏教価値向上委員会」を組織して、寺院のあり方について議論を続けている。
また、お寺がおひとり様の弔いを支援する「弔い委任」を支援する日本弔い委任協会の代表も務めている。

  • 更新日時:2024年06月3日|カテゴリー:ブログ
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