連載:仏教と葬送を考える–葬式仏教の再発見③「なんとなく」の仏教徒
人口より多い宗教信者
日本には、仏教徒は、どのくらいいるのでしょうか?
文化庁の『宗教年鑑』令和3年度版によると、約8397万人が仏教系宗教団体の信者ということになっています。日本の人口は、約1億2534万人(総務局統計局/令和4年2月)ですから、人口の66%が仏教徒だということになります。
ちなみに神道系宗教団体の信者は、約8792万人の信者があり、この二つを足すと、日本の人口を大幅に超えることになります。
多くの日本人は、檀家としてお寺に属していながら、同時に氏子としても神社に属しています。家庭の中にも、仏壇と神棚の両方があるという家が少なくありません。この二つの宗教を、あまり明確に区別していないというのも、日本人の特徴であります。観光寺院などに行くと、賽銭を投げ入れた後に、「ここは、拍手をしていいんだっけ?」などと同行者に聞く姿を見ることがあります。お参りに行く時ですら、そこが神社なのかお寺なのか、あまり気にしていません。
信者数を足すと人口を超えてしまうというのは、こうした日本人のあいまいでおおらかな宗教観によるところが少なくありません。
宗教を信じていない人が多数派
一方、現代の日本人に、宗教を信じているか、という質問をすると、驚くほど数字が低いのが現実です。
平成20年に読売新聞が行った世論調査によると、〈あなたは、何か宗教を信じていますか?〉という質問に対して、〈信じている〉と答えたのは、26.1%に過ぎません。それに対して、〈信じていない〉と答えたのは、71.9%です。
前述の文化庁による統計は、宗教団体の自己申告によるもので、それぞれの宗教団体に登録されている人数ですが、読売の世論調査は個人個人の自己申告であります。
この数字を単純に見ると、名簿の上では何らかの宗教団体に属していながら、「自分は宗教を信じていない」と答える人が多いということになります。
こうしたズレが生じる最大の理由は、「宗教」という言葉に対する認識が、人によって異なるということにあります。
宗教という言葉で、ほとんどの人がイメージするのは、新宗教に見られるように熱心に布教をする宗教や、キリスト教のように毎週のように教会に通ってお祈りをするような宗教です。
一方、お寺の檀家になっていることをもって「私は、仏教を信じている」、あるいは神社の氏子になっていることをもって「私は、神道の信者である」と言う人はほとんどいません。
ところが、「自分は宗教を信じていない」と考えている人も、ほとんどが、お墓参りをしますし、葬儀があれば数珠を持って参列します。明らかに仏教徒としての行動をしているのです。
宗教を「信じていない」理由
こうした人たちが、「自分は宗教を信じていない」と考えるのは、「自分はきちんと仏教(神道)のことを知っているわけじゃない」と考えていることが少なくありません。
例えば、キリスト教徒に対する一般的なイメージは、毎週日曜日に教会に通い、そこで神父さんあるいは牧師さんの説教を聞き、教えを学び、神に祈りをささげているというものであります。キリスト教徒は、日々教えを学びながら、自己の向上に勤めている人たちだと、多くの人は考えています。
それに対して自分たちは、「お寺の檀家にはなっているけど、教えを学んで自分を高めていこうという気もない。法事やお墓参りの時くらいしかお寺には行かないからなあ。とても自分は仏教徒とは言えないなあ」と考えるのです。
もうひとつ、現代日本人の多くが、宗教という言葉にアレルギーを持っていると言うことも挙げられます。
誰しも一度か二度くらいは、何かしらの宗教の信者から、しつこい勧誘を受けたことがあると思います。それで、宗教というものに対して、あまりいいイメージを持っていない人が多いということが言えるでしょう。
宗教団体の中には、社会問題化するようなものもあり、これらも宗教のイメージを悪くするのに一役買っています。宗教は恐いもの、宗教は迷惑なもの、と考えている人もいるのです。
こうした中で、宗教、とりわけ宗教団体というものを嫌う人が多いのも、現代日本の特徴であります。
こうした状況が「自分は宗教を信じている」と考えるのを妨げていると言えるでしょう。
「宗教を信じていない」のに、宗教的な行動をする日本人
ところが、先の読売新聞の世論調査を見ると、〈あなたは、自然の中に、人間の力を越えた何かを感じることがありますか、ありませんか〉という設問に対して、56.3%の人が〈ある〉と答えています。
実に半数以上の人が、自然の中に人間の力を越えた何か、を感じています。質問自体が漠然としたものなので、それが、一神教的なゴッドなのか、神道的な八百万の神なのか、仏教的な仏なのか、木や石や風にやどっている精霊のようなものなのかは、人それぞれだと思います。ただ、半数以上の人が、何かしら神的な存在を感じているというのは確かであります。宗教団体に属しているということに関係なく、日本人は、科学では説明できない、見えない何かを信じているということです。
さらにこの世論調査には、〈あなたは、自分の先祖を敬う気持ちを持っていますか、持っていませんか〉という設問があります。これに対しては、実に94.0%の人が〈持っている〉と答えています。先祖を大切にするという、先祖供養の気持ちは、ほとんどの人が持っていると言っても過言ではありません。
この連載1回目の「死者の安らぎを祈る日本人」で述べたように、日本消費者協会の「第11回 葬儀についてのアンケート調査」(2017年)によると、葬儀を行った人の中で、仏式を選んだ人は87.2%です。
近年、無宗教葬や直葬が増えたと言われているが、現実としては9割近くの人が仏教での葬儀を選んでいるということです。
こうした人たちが、果たして無宗教だと言えるのでしょうか。
教えのような宗教の理論的なところには疎いけれど、手を合わせるという感性的な部分については、深い信仰を持っているのではないでしょうか。
「宗教」という言葉を、熱心に宗教施設に通う、教えをきちんと学ぶ、という枠組みで理解している人が多いため、「自分は無宗教」と考えがちなだけで、実は大多数の人が素朴な信仰心を持っていると言うことです。
そして「自分は無宗教」だと考えている人たちが、仏式で葬儀をあげています。頭では「宗教なんて」と思っていながら、仏式で葬儀をしないと気持ち悪いのです。
日本には、自分では仏教徒でないと考えているのに、その行動があきらかに仏教徒の行動となっている無自覚的な仏教徒、つまり「なんとなく」の仏教徒がたくさんいるのです。「なんとなく」の仏教徒にとっては、仏教は空気みたいなものなのかもしれません。
日本人にとっては、当たり前すぎるため、あえて「宗教を信じている」と言うほどのことではないということなのでしょう。
私は、日本人の多くが、こうした「なんとなく」の仏教徒であることは、すごいことだと思っています。仏壇やお墓で手を合わせることは、誰に言われたことでもありません。家庭の中で、親や祖父母の姿を見て、自然に身についたものです。お坊さんに言われて、やっているという人も少ないでしょう。
「なんとなく」の仏教徒であることは、むしろ誇るべきことなのかもしれません。
薄井秀夫
薄井 秀夫(うすい ひでお)
プロフィール
昭和41年、群馬県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業。
中外日報社等を経て、平成19年に株式会社寺院デザインを設立。
お寺のコンサルティング会社である寺院デザインでは、お寺の運営コンサルティング、運営相談を始め、永代供養墓の運営コンサルティング、お寺のエンディングサポート(生前契約、後見、身元引受等)、お寺のメディアのサポートなどを行っている。
葬式仏教や終活といった視点でお寺を再評価し、これからのお寺のあり方について提言していくため、現代社会と仏教に関心の高い僧侶らとともに「葬式仏教価値向上委員会」を組織して、寺院のあり方について議論を続けている。
また、お寺がおひとり様の弔いを支援する「弔い委任」を支援する日本弔い委任協会の代表も務めている。
- 更新日時:2022年03月31日|カテゴリー:ブログ