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初詣と日本人

五類になって初めての正月
今年もようやく一年が終わろうとしています。
 そして全国のお寺や神社で、たくさんの初詣客を迎えることになります。

 令和二年の春頃からコロナ禍がじわじわと広がり、令和三年、四年の正月は初詣も自粛する人が大部分でしたが、一年前の五年の正月からだいぶ人出も戻っていました。そして今回は、コロナ感染症が五類に移行されて初めての正月となります。
 例年、有名神社仏閣には、たくさんの初詣客が訪れ、境内は人で一杯になります。首都圏では浅草寺、明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師平間寺などは、いずれも三が日だけで約300万人が訪れていました(2009年度、警察庁調べ。2010年以降は調査をしていない)。
 ちなみに初詣は、お寺ではなく神社にお参りするものと考えている人も多いようですが、前述の成田山や川崎大師はお寺です。歳神(としがみ)を迎えるのが新年だとすると、神社にお参りするものだと考える人もいると思いますが、日本は、神仏習合の長い歴史を持ち、民間信仰としてはあまり神仏を区別していません。そのため初詣は、神社に行く人もいれば、お寺に行く人もいるということになります。

鉄道が初詣を普及させた?

 多くの人が三が日に初詣をするのは、こんな時代でも、まだまだ神仏が大切にされていることを示しています。新年に寺社にお参りし、1年間の無病息災や商売繁盛を祈ることで、清々しい気持ちになっている人は少なくないと思います。
 ところがこの初詣、実は、日本古来の習慣というわけでもないようです。
 近年、神奈川大学の平山昇准教授が、明治時代に発行された新聞などの資料を詳細に調べ、初詣の習慣が一般化して広まってきたのは明治中期以降であることを明らかにしています(『鉄道が変えた社寺参詣――初詣は鉄道とともに生まれ育った』交通新聞社新書)。
 平山准教授によると、初詣の一般化には、鉄道の開業が一役買っていると言います。特に、家から遠い寺社への参拝を鉄道が可能にしたこと、また鉄道会社が新聞広告等で沿線の有名寺社への初詣を勧めるキャンペーンを行ったことが、大きく影響しているとのことです。
 ちなみに明治期には、俳句で「初詣」という季語を使った句がほとんど無く、大正時代以降になってようやく頻繁に使われるようになったということです。
 この有名寺社への「初詣」が一般化する前は、一部の地域では恵方詣と言って、その年の恵方(縁起のよい方角)にある寺社へのお参りをするという習慣はあったようです。
 しかし毎年、お参りする寺社が変わるというのは、沿線の寺社にお参りをして欲しい鉄道会社にとって都合が悪かったので、恵方にある寺社でなく、毎年決まった神社でもよい初詣という考え方を広めていったのです。
 こうした広まった初詣の習慣ですが、それから100年以上たった現代でも、衰える気配がありません。
 読売新聞は、過去10回、宗教と宗教行為について全国世論調査を実施しています。
 その中で、「宗教に関することの中で、現在、あなたがなさっているものは何ですか」と、いくつかの選択肢の中から選ばせる設問があります。選択肢には「正月に初詣」という項目がありますが、これを選んでいる人は、昭和54(1979)年の56.0%から、平成20(2008)年の73.1%まで上がり続けています。
 つまり、初詣をする人は、平成の時代になっても、増え続けてきたということです。

神社をめぐる地域の二重構造

 日本の神社は、地域社会と大きな関わりを持ってきました。
 神社の崇敬者のことを氏子と呼びますが、小規模神社の場合、この氏子はほとんどが地元の人、だいたい半径1〜2キロメートル内に住んでいる人達です。中には、町会が実質的に神社の氏子組織となっている場合も少なくありません。まさに地元に支えられているのが神社なのです。
 ところが、日本の地域社会は、戦後の高度経済成長期にかなり変質してきました。特に、流動人口が増えたことは、地域社会のあり方を大きく変えてきました。
 農業に従事している人、商店を営んでいる人は、あまり住んでいる場所を変えることはありません。世代交代をしても、同じ仕事を受け継ぎ、同じ家に住み続けます。
 ところが高度経済成長期には、地方から都市部に出ていく人が増え、また地方に住んでいても分家となって新しく家を建てる人も増えました。そしてその多くが勤め人です。地域社会に新しいタイプの人が増えてきたのです。
 それでも、神社の氏子は、もともとそこに住んでいる人で占められていることがほとんどです。
 「三代東京に住んでいる人じゃないと、江戸っ子とは呼べない」ということを言う人がいますが、東京の神社の氏子になっているのも、ほとんどが3世代以上にわたってそこに住んでいる人です。
 この事情は地方でも変わりません。新しく家を建てて住み始めた人が、氏子になるケースはとても少ないのです。
 神社側も、別に新しく住み始めた人を拒絶しているわけではありません。ただ、新しく住み始めた人の多くは、地元の神社を支える意義をあまり感じていません。氏子組織が古くからの人で占められていることで、他の人にとって敷居の高い集まりになっているということもあります。
 つまりどんな地域でも、昔から住んでいる人のグループと、新しく住み始めた人のグループが存在します。それは地域の神社の氏子と、そうでない人のグループと重なるのです。

鎮守の神社でのひそやかな新年

 実はこうした氏子らは、初詣で、有名神社や有名寺院に行くことはほとんどありません。初詣と言えば、あくまでも自分が氏子となっている神社へのお参りなのです。
 しかも各家から代表して一人は、その神社の元旦の祭礼に参加します。祭礼では、神主に祝詞を読んでもらい、玉串を捧げて、一年の安穏を祈ります。そして祭礼が終わったら、直会(なおらい)という宴席に参加します。
 初詣が有名寺社に集中する一方で、小規模神社でも、こうした新年行事がひそやかに行われているのです。
 神社のことを、「鎮守」と呼ぶことがあります。鎮守とは、その土地を守ってくれる神さまを祀る神社のことです。「村の鎮守の神さまの・・・」と歌う『村祭り』という童謡を子どもの頃に歌ったことのある人は多いと思いますが、そうした鎮守の神社は、地域の人によって支えられています。
 ところが、この「地域の人」ですが、残念ながら地域すべての人ではないのです。
 前述のように、新しい住民が氏子になるケースは多くはありません。しかも新しい住民の中には、その地域に鎮守の神社があることすら知らない人もいます。
 こうした新住民にとっての初詣は、家から少し離れた有名寺社と考えられています。有名寺社に初詣が集中するのは、地域に新しい住民が増えていることと無関係ではありません。
 同じ地域に住んでいても、地域の鎮守に初詣に行く人と、少し離れた有名寺社に行く人に二分されているのです。
 地域社会との関係性が希薄な人が増え続けた結果、初詣が有名寺院や神社に集中することになったと言えるでしょう。
 それでも初詣は、日本人の宗教的な習慣としては、現代においても衰えることの無い希有な営みであります。それは一年を無事安穏に過ごしたいという気持ちと、こんな時代でもそれを神仏に祈りたいというささやかな想いの発露であるのです。

薄井 秀夫

薄井 秀夫(うすい ひでお)

プロフィール
昭和41年、群馬県生まれ。東北大学文学部(宗教学)卒業。
中外日報社等を経て、平成19年に株式会社寺院デザインを設立。
お寺のコンサルティング会社である寺院デザインでは、お寺の運営コンサルティング、運営相談を始め、永代供養墓の運営コンサルティング、お寺のエンディングサポート(生前契約、後見、身元引受等)、お寺のメディアのサポートなどを行っている。
葬式仏教や終活といった視点でお寺を再評価し、これからのお寺のあり方について提言していくため、現代社会と仏教に関心の高い僧侶らとともに「葬式仏教価値向上委員会」を組織して、寺院のあり方について議論を続けている。
また、お寺がおひとり様の弔いを支援する「弔い委任」を支援する日本弔い委任協会の代表も務めている。

  • 更新日時:2023年12月27日|カテゴリー:ブログ
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